三生苦 覚書き
※「三生苦」に関する内容(ネタバレ、背景設定など)が含まれています。
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暗い。重い。ツラい。
苦手な人は苦手だと思うので、しんどいと思ったらそっ閉じしてほしい。
年始から続いた馬鹿みたいな激務でとにかく鬱憤と辛さを吐き出したかったのか、あまりにも救いが無さすぎる。
ただ、これが自分の中では紛れもない現実描写だと、比較的通常に戻った今もそう思う。
同時に表層に出したい重要な課題なので、気力があるうちにこういう陰鬱を敷いた創作を生産し続けることは多分変わらない。
ちなみに念のため、「三生苦」の単語とそれに付随する物語は全てフィクションです。
5月の雑記らへんの重労働が結果的に手伝ってできた「三生苦」、正直人生で初めてちゃんと”終わり”を創った物語であり、自分にとってはかなり快挙である。(龍笛譚に関しては、後ろに譚とつくが括り的にことわざに近いので物語ではない。)
体力も尽きかけ憔悴しきっていたはずなのに初めて話を完結させられたとは、ヤケと根性だけでやろうと思えばできてしまう人間の創造欲がちょっと恐ろしくなった。
達成感は勿論あったが、いつまでも繰り返してるとある時プツッと血管か何か切れて死にそうだ。
これを数十倍の量やってしまえる人間がゴロゴロいる(今自分の身近にもいる)んだから計り知れない。
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三生苦【さんしょうく】…三つの生きる苦しみ。
実際にある「三重苦」という言葉をもじった造語である。
三重苦を表す盲・聾(ろう)・啞(あ)はそのまま引用している。
この3文字は調べればすぐに出てくるが、要するにヘレン・ケラーの症状のことを言う。
曼荼羅もどきにある模様は全て"3"の文字を使って作られている。上に一列並んでいるのは各国の3の書き文字。
生きる苦しみはいつも頭から離れない。
厄介な事に、これは日常の中にいくらでも潜んでおり、些細な事で辛くなったりやり切れなくなると途端にその事で悩みこんでしまう。
どうやっても噛み合わない、上手くいかない、理解できない、主張できない、…例を挙げ出すとキリがないが、こういった苦しみは1人の人間から1国の内情にまで等しく起こり得る。
ヴェルトシュメルツ(世界苦)にも似ている。
個人差はあるにしてもここまで人間生きづらいと、こんなに苦しんでまで生きる意味って何だと疑問に思うのも仕方がない。
結局死ぬまで人生が終わらないことだけは明確なので、生きる意味を探すか、死の選択肢を取るか、忘れて考えないようにするか、そもそもどうでもいいと思っているか、など処世術は人それぞれなんとか折り合いをつけて生を全うする。
自発的に疑問を抱いたのであれば、上記のように考えるも考えないも各々の自由だが、それとは別に、「生きる意味」自体に苦しめられることがあるのではないかと考えた。
自分には少なくともその覚えがある。
簡単に言うと、「生きる意味」が先に自分に問うてくる。
目標とも将来とも夢とも言い換えられる、それらは答えを出せといつでも迫ってくる。
常に薄らとした焦燥感が付き纏い、なぜ答えを出さなければならないのか、急いて一体何がほしいのかと苦しむ。
「意味」のフリをしている自分が自問自答を繰り返しているだけなんじゃないかとも思ったが、何か違う、意味などを理解するもっと以前に外からの大きな圧力で植え付けられたような感覚がある。
私の人生は、前述した「意味」を追いかける方=探したい欲求よりも先に、「意味」に迫られる方=探さなければいけない義務に遭遇していた。
下手すると一生掛かっても答えがわからないはずのものに、何かこじつけてでも結論を出そうとする行為にそれこそ何の意味があるのか、全く理解できなかったしいまだに理解できていない。
幼い頃から常に感じていた抑圧と苦痛の原因の一つはこれだったように思う。
しかし、歳を経る毎に有り様を変えては目の前に現れ続け、この妙な問答に一生終わりが来ないことを何となく察してしまっているので、現世は地獄よりも地獄らしく本当に嫌気がさす。
激務に耐えながらこんな事をずっと考えていた。
こんな事しか考えられなかったという方が正しいかもしれない。
しかしるつぼに嵌っては本気で死にたくなってくるので、なんとか圧縮して3つにまとめ、ひとつの王国に犠牲になってもらって、なんとか崩壊の物語を創りなんとかそこから脱した。
恐ろしい創作欲にまた自分の命を救われている。
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王は一生逃げ続けるのか、臣下は失意の中死んだのか、何も知らない民は生き延びたのか。
どれだけ散々な結末を迎えても世界は続くので、三者の抱いた生きる意味への疑問はそのまま残るが、希望を想像する余地を残すために彼らのその後を今後描く予定はない。
こんな物語にした本人が言うことではないけど、せめて命がある間は彼らに少しでも救いのある出来事が訪れることを願っている。
童話のような読み口でなるべく文章量を少なめに縛ると、物語の顛末を描くことに終始してしまい臣下の裏切りの内容などを書けなかったのが惜しかった。
「詳しい文献が残ってないお話って体でして」と言ってしまえば簡単だが、これを逃げ口上のようには使いたくもなく…改めて文章や言葉を用いた表現の難しさを痛感した。
背景設定などもほぼ表に出せてないので、スケッチと一緒にここで蔵出しします。
初期はさんすくむ国というタイトルだった。
登場人物と各々のもつ役割・キーワードを書いている。これをはじめにプロットとして作ったおかげでキャラクターとテーマが迷子にならずに済んだ。
三生苦の物語は時系列順だと「盲」→「聾」→「啞」だが、どれから読んでも問題ないように同じ出来事をそれぞれの当事者視点で語る構成にしている。
優しい無知の王。まだ18歳前後。
「王国の起源となる国家統治を果たした女王の説話を元に、王が面前に立つ際は性別関係なく女性の礼服を模した正装を纏い、白粉と目元の化粧をする慣わしがある」という背景があり、若き王も女性物の民族衣装を参考にした重ね布の冠とドレス、端正な顔にエジプトメイクのような黒いアイラインを引いて性別のわからない風体にした。
浮世を知らない神聖、不確定性、初々しさ、か弱さは、結果的に彼の辿る悲惨な運命との対比にもなり、予期していなかった印象の発生に書きながら一人で盛り上がっていた。
こういうのが創作の楽しくて良いところだと思う。
王国のとある村に暮らしていた一家の姉妹。大きな三つ編みの方が妹で、頭に布を巻いた方が姉。(一枚目は妹の初期案)
絵に描いた妹は、近く開かれる祝典の舞台で男性役として踊るためのキンジャール(短剣)を携えた伝統衣装で、普段は姉と同じような服を着ている。
まさにその祝典の日、心待ちにした舞台に出るため城下へ出かけた姉妹は反乱の決行に巻き込まれてしまった。
物語中一番の被害者で、臣下のように恨みを持ってしまう連鎖の一つになる可能性を持つが、大火から逃れた時ひとりにならずに済んだことが唯一彼女たちの支えとなり連鎖を食い止められる希望になるかもしれない。
ちなみに、好みだけで言うと臣下の話が1番気に入っている。
彼の復讐はある意味勘違いで、若き王にだけ復讐心を燃やすのもお門違いだったのだが、もしかしたら本人も無意識に分かっていたんじゃないかと思う。彼は決して馬鹿ではないはずだ。
王からのこの上ない施しと無償の信頼に、敬愛すら芽生えていたかもしれない。
それでも「王(=王族からの仕打ち)をゆるす」という行為によって、幼少期から復讐のために捧げてきた自分の人生を否定したくない想いと、僕(しもべ)の立場になった時1番近づきやすい者が王だった以上、止めたくても止められないジレンマを抱えた結果、自分の復讐心の肯定をするため自ら歪めた王の幻を見て暗示をかけたのか…とか描きながら想像していた。
あくまで作者の一解釈だが、その愛憎に似た葛藤を独りよがりにし続けた臣下はとても人間らしいキャラクターになったなと思う。
創作物における所謂「if」は基本考えないが、彼に関しては思わず、もし臣下にならない=復讐に走らなかったら手先器用そうだし楽師とかで飯食っててほしいな・・・などと想像してしまった。臣下でも安息日に音楽を嗜んでいそうではある。
弾いているのはシチェプシン[Shichepshin 又は Circassian fiddle]というカフカスの古い弦楽器。
三生苦の物語は、アルメニア・カフカス(コーカサス)地方にかつて存在したかもしれない、という体の仮想民族国家が舞台になっている。
カフカス周辺は強国・大国に挟まれシルクロードに繋がる交易の地でもあったせいか、ハザールの時代の終わりから侵略の憂き目に遭い続けた歴史を持っている。
もしこの王国にも史実があったとしたら、国民の暴動を発端に内政が荒れ、そこに他国の騎馬軍が攻め入り結果的に滅びたというのが通説として残っているかもしれない。
服装は基本的に同地域に点在する/していた民族の意匠をモデルにしている。
資料の合間に中東の服とかも見ていたのでそこのデザイン性もたぶんちょっと入っている。
1枚目は臣下の初期案。服装がほぼチョハ(カフカス地方、チェルケスやアディゲの伝統衣装)そのものだが、火薬入れの胸ポケットがもう完全にナウシカの服のそれにしか見えず、2枚目のようなデザインに変更した。
いち早くカフカスの要素を取り入れたナウシカの影響力、強すぎ…。
曼荼羅もどきの下に書いてあるアルメニア語はGoogle翻訳のなんちゃって文章なので外国語のできる人間とは絶対に絶対に思わないでほしい。ごめんなさい。
ここまで読んでくださった中にアルメニア語が分かる方はいらっしゃいますか、文法的に正しい言い回しをご存知でしたらメールでこっそり教えてください。
「生きる意味は問う。生けるものへ、答えはなにかと常に迫る。」
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最後に、映像や音楽について。
今回モチーフをアルメニアやカフカスに絞ったのは、セルゲイ・パラジャーノフの映画「ざくろの色」(原題サヤト=ノヴァ)による。
感想を言葉にするには余りに内容への知識と解釈が足りないのでまだ書けないが、説明が無くても肌感で分かる濃い宗教色と民族色に大きな衝撃を受けた。
ひとまず知るきっかけになった非常にわかりやすい解説動画をおいておきます。
これを見て興味を持った方はぜひブルーレイを購入して一旦観て、恐ろしく美しい構成に一旦驚愕してほしい。
・好事家ジェネの館 - 史上最も耽美な映画!? 極彩色の動く詩画集『ざくろの色』が美しすぎて泣ける理由
また、今回は平沢ソロの「白虎野」をアルバム通しでずっと流しながら話を創っていた。
三生苦の世界観と物語に多大な影響を及ぼしている。
平沢のテクノは当たり前に好きだが、変遷の過程で民族歌謡やストリングスを取り入れた毛色の違う曲群もまた須く良い。
・平沢進 - 白虎野
臣下が弾いていたシチェプシンも調べ物をしている最中見つけたもので、Shichepshinで調べると演奏動画が結構でてくる。
・Shichepshin - traditional Circassian bowl instrument / ШыкIэпщын / ШыкIэпшынэ / Шичепшин
・The music of Tahtamoukay khachesh
民族や伝統の類に興味を持つと、自然と音楽の種類や歴史も目に入ってきて、その度に何か自分で弾いたりできたらなあと思う。
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