雑記 2024.6
ふと気づいたことがあった。
携帯やPCには画面の明るさを調節できる機能があるが、自分が調節すると三分の一〜最低値のあたりを行ったり来たりしている。
明るい日向に出ればさすがに画面が見えないのでもう少し上げるとして、室内や自分の部屋で過ごす時、光度を示す縦のメーターは軒並み一番下のところにいる。
そういえば部屋もなんだか暗い。
日中陽の光が部屋に入る間は電気のスイッチにほとんど触らず、日が落ちたら常夜灯より少し明るいぐらいの間接照明だけで過ごしている。
1番強く光る天井灯は本当に用事がある時(間接照明では照らせないところに虫が走っていったとか)以外は一切つけない。
光が苦手なんだろうか?と最初は考えた。
確かに強い光に照らされた場所にいると疲れることはある。しかし、朝日や夜景、ネオンの光が全く見れない訳ではない。
舞台やライブの強烈なライティングを喜んで浴びたいと思う事だってあるから、どうも苦手とはまた別に原因が存在するらしかった。
画面の光度のメーターとこれらの光を並べて分かった。2つの決定的な違いは、通常と非常、「いつもの」と「この時だけの」。
いつもは味わえない、ハレの時にしか現れない強い光を楽しめるように、目を休める時間、ケの時に最適な暗がりがこの身体には必要なのだ。
家族と一緒に暮らしていた頃、自分が設定したリビングの照明の光度を誰かしら必ずいじるので、リビングで過ごした後やけに疲れていたのを思い出した。
別に誰かしらのせいという訳ではない、ただ自分が落ち着ける光が皆よりずっと暗かっただけで。
自分が他者と関わる具合もこれぐらいであれば良いように思う。
自分にとって他人はハレの日の光だ、会いたいと思うし会話を楽しめたら嬉しい。しかしその刺激は強烈であるが故に、常にそばにあると自分はいつまでも休めない。
かかる時間が長かろうと、他者と関わりたいと思う以上はそこから離れて自分が休む時間を持つ他ないのだ。
こんな人間にとって、創作意欲と、1人遊びの知恵と、1人で過ごすのが全く苦にならないこの性格は幸いかもしれない。
書き終えて確認した光度のメーターはあい変わらず一番下のところにいた。
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