龍笛譚 覚書き
※一部、「龍笛譚」の種明かしになる内容が含まれています。
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初めはただの辰年の年賀状だった。
だったはずが、描いていくうちに色々と尾ひれがついて、最終的に物語と創作文字と研究記事が一緒にできあがった。
よく勢い任せにこういう事をやってしまいがちである。特に何よりもしなければならない優先事項があるときほど捗ってしまう。
その例に漏れず年末までずっと仕事をして、その傍らに絵を描いていたのだが、文字や記事の内容など変に凝った事を考えだしたあたりから、龍笛譚を作る傍らに仕事をしていたような気がする。
後悔ではないけれど、あの時は龍笛譚を完成させている場合ではなかったと後々痛い目を見て思った。
思いつつまた私は同じような事を勢い任せでやる自信がある。
今まで幾度となく繰り返しているし、楽しいせいで一向に治る気配がないのでしょうがない。
龍笛譚のモチーフとして参考にしたのはバロンダンス、ワヤン・クリ、カレワラ、雅楽、中国の皇帝龍、キトラ古墳の壁画、アイヌ、サーミ、ウェールズなど。
その中でも特に、バロンダンスとワヤン・クリ、それらの発祥であるインドネシアの文化や造形の要素をそのまま取り入れたものが多い。
笛吹きのかぶっている帽子の形や龍の牙の生え方などが一番目に見えて分かりやすい。
龍笛は特に捻らず雅楽の龍笛である。
「龍笛譚」の話と顛末について。
本来、「暴れ回ってる龍がいて、向こうみずな笛吹きは笛を吹き続けて、いつか龍が眠って静かになるといいですね。」という一見特に深い意味のなさそうな言葉遊びやまじないが、口伝を経るにつれ脚色されてなぜか龍を倒す英雄譚となった。
英雄譚になる前を知る誰かはそれを皮肉って、無知の笛吹きが英雄へと作り変わったと触れて回ったが、それすらも話の序文として組み込まれて詩歌になり、原初の話は忘れられ、やがて存在すら忘れられた頃に発見へ・・・といった流れで前回の投稿(研究記事)につながる。
そういえば、詩のギミックを解いてくれた人はいたのだろうか。
詩がそのまま答えのようなものだから解くも何もないっちゃないけどちょっと気になる。
「龍笛譚」を思いついた当初は意図せぬ改変や誤解を悪として捉えており、話の内容ももっと安直に改変への風刺のニュアンスを伴わせていたが、色々調べているうちにそこら辺の意識が変わったため、内容を少し変えたことを覚えている。
現存する昔話や伝承の多くは、事実より誇張して書かれていたり、曲解されて各地に伝播したのが原因で土地ごとに違いが生まれたり、時代の変化や都合で故意に書き換えられていたりと、往々にして正しく伝わっている訳ではないようだ。
本来はこういう話であったという事実が受け継がれず違う形で伝わるか無くなってしまうというのはできれば避けたいが、それは本来のものとかけ離れたまま伝わっている話にも同様に言えることではないだろうかと考えた。
変貌したそれらを間違いだと淘汰せず同様に残していくことができれば、またひとつの文化になり得るように思う。
変わることや誤って解くことそのものは必ずしも悪ではない。
先天的な実話と後天的に変貌した話の両方が存在することを否定しない伝承になって欲しかったから、「龍笛譚」は風刺でなく、ただ変わった事実だけを淡々と記した伝承に書き換えた。
実際、前述した全てが後世まで残っている伝承はあまり無いだろう。
歴史の文章から、あるいは現在進行形で叫ばれている問題から、かつて栄えた文化や技術が受け継がれず消えていく様を目撃している身として、理屈ではなく実感でそうだと分かってしまう。
例え残っていたとしても、それが本物かどうかを知る文献や証拠がすでに廃れてしまってどこにも無く、誰も確かめる術を持てなくなった物語は一体どれだけあるのだろうか。
こういうものは須く有限だからしょうがないことではあるが、今はもう無い事実を思うと、どうにも悲しくなる。
せめてフィクションである「龍笛譚」はよくばって、是非の関係なく先天と後天がどちらとも偶然残り、発見されて受け継がれた伝承、ということにしたい。
龍笛譚のイメージの補填になった曲をいくつか抜粋。
こういうものから一番に忘れていくので、雑記と一緒にここに残しておく。
・【芝 祐靖(龍笛)】白瑠璃の碗(作曲:芝 祐靖)"Hakururi no Wan" composed and performed by Sukeyasu Shiba
(なぜかリンク貼れないけどYoutubeにあります)
・kalevala
カレワラ叙事詩を歌にしたもの。詩に登場するカンテレという弦楽器で弾く。
・Altai-Kai - Кай кожон
・Heilung - LIFA
・P-MODEL - Black in White
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